シムーンの「祈り」

 シムーンについてのどうでもよいことをグダグダ書いてるこのダイアリーを見ていただいてありがとうございます!

 僕はずっと祈りという言葉のイメージから清らかで平和的なものと考えていました。それは僕が第4話から見始めたからかも知れません。第1話では既にシムーンの事を「神の乗機」「悪魔」「ただの機械」という見方が示されています。もちろん「悪魔」「ただの機械」はアルゲントゥム礁国の兵士の言葉で、否定的に「神の乗機」という言葉をつかいます。シムラークルム宮国の人達は当然「神の乗機」と言いますが、気になるのはロードレアモンの「それ故にシムーンの姿を見るや逃げ出す。」と言った後で、「え、私なにか言ってましたか?」と言うセリフです。少なくともロードレアモンにとっては、シムーンが神の乗機であるために、それを見た敵はおびえて逃げ出すと言うことは実感のあることではなく、誰かに教えられてそう思い込んでいる。と、いえるのではないでしょうか。
 そしてそれは「祈り」、簡単にいうとシムーンでの行為にも言えるかも知れません。
 祈りとは本来、神にささげる神聖な行為で、それを用いて敵を撃退するのは、いたしかたないこと。そんなスタンスの様ですが、それは宮国からの見方で、他の国からはどう見られているのか・・・
 結果としてやっているのは、当然といえば当然なのですが、破壊と殺戮です。
 つまり国際的に見れば、神の名のもとに破壊と殺戮をする悪の国家、と言えなくもない。
 この辺は戦争を始める発端がなんであったかということが関係してくると思うのですが、祈りが破壊と殺戮であるならば、巫女は破壊と殺戮の実行者となります。
 破壊と殺戮の実行者である巫女・・・嶺国の巫女・アングラスたちは、このことを伝えるメッセージだったのかも知れません。「あなたたちのやっていることは、こういうことなのだ。」と。言葉で伝えるチャンスがあったにも関わらす、そうしなかったのは、反論の余地を与えないためだと思うのですが。
 この変換を以って、第8話・第9話を見ると、今まで以上に僕はネヴィリルのことが理解できる様になりました。
 そんな事あたり前だろ、知ってたよ、って言われちゃうと思いますが、僕としては目から鱗が落ちる思いだったので書いてみました。