アングラス

 最近、他の方のブログを見させてもらってますが、意外な程、自分と考え方が違うことに驚かされます。今後の展開の予想はもちろんなのですが、今まで放送されたお話の表現の受け止め方ですら、人によって違うんですよね。だから、感想を書くときでも、「ここまでは他の方も同じ見方をしているだろう」と考えるのは禁物だなって思いました。また、僕もそうなんですが、「シムーンを機にブログをはじめました。」みたいな文章を見ると、シムーンて、感想や意見を言わずにはいられない、考えることを要求するアニメなのかなって思います。
 例えば、第10話籠の鳥、最後のシーンでマミーナが「ねずみ」って言いますよね。初めて見たときは、なぜそういうセリフが出てきたのか理解できませんでした。僕が見た限りでは、「ねずみ捕りを仕掛ける」シーン、「マミーナが調理するのを、隣で見ていたおばさんが驚く」シーン、そして「あのお肉・・・・・・ねずみ、と言う」シーンで、マミーナが作っていたのは実はねずみ料理だった、と理解するわけですが、はっきり言って分かりにくいです。それ以外にも分かりにくい表現が多々あり、一部の方々が視聴を拒むのも分からないでもありません。しかし、その一方で、自分なりの理解を見出した人には、かなりの気持ちよさが与えられます。この気持ちよさがシムーンの魅力の一つと言っても過言ではないでしょう。
 本題に移ります。
 アングラスがなぜ、遺跡の古代シムーンの中にいたのか、僕の理解を書きたいと思います。
 まず、一つ、推測をしてみます。「神への祈りが通じた巫女は、神の側に仕える」と言うこと。これは翠玉のリ・マージョンとほぼ同じで、祈りによって神の近くへと転送されることを意味します。ほぼ同じと書いたのは、翠玉のリ・マージョンの方が高度な祈りと考えられるからで、より神に近い場所(時間?)へと移動したのではないかと考えられます。
 この推測が正しければ、次の事が言えると思います。それは、テンプスパティウムとアニムスは表面的には別の神ではあるが、実際にはひとつの神である、という事。これは、アニムスを崇拝する嶺国の巫女が、テンプスパティウムの遺跡の中にいた事から推測されます。
 そして、最後の推測は、祈りとは何なのか?と、いうことなのですが、これは7月8日のダイアリの繰り返しになりますが、「祈り」とは「破壊と殺戮」であると思います。アングラスがアルクスプリーマ、ルボルとカプトのシムーンを爆破し、アングラス以外の巫女が嶺国使節団を撃ち殺した回のサブタイトルが「祈り」であることも、このことを示していると考えます。そして、そのことを意識しているのがネヴィリルであること。
 以上が、「アングラスが古代シムーンの中にいたこと」に対する現在の僕なりの理解です。
 ここからは、これからの予測です。テンプスパティウムとアニムスが同じ神であるにも関わらず、なぜ、宮国にはヘリカルモートリスの恩恵があり、嶺国には無いのか?これは、宮国の祖先がテンプスパティウムと特別な契約を結び、嶺国の祖先はその契約を結ばなかった。あるいは宮国は何からの条件を満たし、嶺国は満たさなかった。と考えます。(ちなみにユダヤ教などでは、神と信仰する人の間に契約に相当する語を使うと本で見たことがあります。)

 あと、この「祈り」の理解が嫌な予感をさせます。テンプスパティウムが邪悪なモノであると・・・。